ピアノとエレクトーンの
セナ音楽教室
~宇都宮市陽東~
講師プロフィール
セナ先生ってどんな人?
元ヤマハ音楽教室システム講師
全日本エレクトーン指導者協会(jet)YMR宇都宮店小山支部所属
全日本ピアノ指導者協会PSTA指導会員
PTNA指導会員
ヤマハエレクトーン演奏グレード4級
ピアノ4級、指導グレード4級取得
13~11級グレード試験官 (当教室にて受検可)
「ピアノを習いたい」と親に懇願し、5歳でレッスンを始めました。しかし楽器店で目にしたエレクトーンに一目ぼれ。音楽好きの父の勧めもあってエレクトーンから始めました。小学生のころはランドセルを放り投げるとエレクトーンに一直線のエレクトーン大好き少女。ボタンをあれこれ混ぜるとどんな音になるのかが面白くて、遊びの中で練習になっていたように思います。低学年の頃から聴奏が得意で、TVから聞こえてくる曲も楽譜がなくてもよく弾いていました。コード(和音)表を親に買ってもらって弾きたい響きのコードを探したりコードネームも勝手に覚えたり、レッスン曲以外のこともよくやっていました。
小学5年生のときエレクトーンフェスティバル(コンクール)に初出場。そこで刺激を受け、他の人が弾いていた曲の楽譜を先生に内緒で入手し弾いていました(笑)。家は決して裕福ではありませんでしたが、当時発売されたFS型の中で標準よりワンランク上の機種に買い替えてくれたことがきっかけとなり、将来エレクトーンの道に進むことを考え始めました。
エレクトーンの他に小学校のクラブでチェロ、中高の部活でフルート、上京と同時にドラムを経験しました。一応管弦打楽器一通りしたのですが、これらの経験はエレクトーン指導に今でもとても役に立っています。ピアノだけに楽器を絞らなかったことで、様々なジャンルの音楽やリズム、楽器のことなど音楽全体を学んできたなという自負はあります。ピアノとソルフェージュは中学に上がってすぐ、基礎から叩きこまれました。高校でピアノは受験用のレッスンになり、エレクトーンは高3から学校帰りに制服のまま田舎から特急に乗って目黒センターまで通いました。帰りの終電で寝過ごして県境まで行ってしまい、親に車で1時間かけて迎えに来てもらうという失態を何度か...夜中の12時過ぎまで女子高校生が駅でポツン・・・。親には本当に感謝しています。
上京してからは山のような課題をこなすのが精一杯の毎日で、とくにピアノは鍛えられました。よくあれだけの量をこなせたなと今でも思います。かなりの鬼教官でしたので...(笑)。今ピアノを教えることが出来ているのはその時こなした曲数のお陰だと思っています。宇都宮に来る前までは他県のヤマハ音楽教室で10年ほどシステム講師(グループと個人レッスン)をしていました。下は3歳児のクラスから大人の方まで、多い時で月120名ほど教えていました。街でイベントがあると店頭でデモンストレーションをしたり、有志で講師コンサートを開いたり、真夜中にスタジオを借りて生徒と組んだバンドで練習やライブ活動をしたり、時にはドラムを叩いたり...今と違って派手な音楽活動ばかり。人前で演奏することが大好きでした。今の私しか知らない方はきっと想像が出来ないかもしれませんね。
結婚後宇都宮に移り住み、自宅教室を開設して子育てをしながら細々と続けてきました。試行錯誤しながら教材もよく作りました。イベントを企画したり、パソコンで楽譜が書けるようになったり…子育てしながらで辛い時期もありましたが、どうにか続けて来られたのは家族の支えがあったことと教えることが好きなことに変わりはなかったからです。現在はようやく子育てもひと段落して自分の時間が持てるようになり、ピアノ演奏法や指導法のセミナー、作編曲、音楽理論の学びを再開しています。
教室では最近、エレクトーン経験のある親御さんやエレクトーンを弾くのを楽しみにしてくれているピアノの生徒も増え、エレクトーン色の濃い教室になりつつあります。ピアノを習う子にも様々な楽器やリズムを知ってほしい、音楽を教える上でエレクトーンを活用しない手はない、そんな思いで日々レッスンに取り組んでいます。性格は見かけによらず"熱い"です。生徒のことをいつも考えてしまうのは、これが天職だからでしょうか。音楽が好きな子を一人でも増やすこと、ピアノやエレクトーンが上手な子を増やすことを生きがいにしています。